「作品をつくり続けるためのプロローグ」

Sano
2020-05-07
夜の街を歩く2人の男女。
流行りの映画を鑑賞した帰り道、談笑しながら感想を言い合い、駅へ向かっていた。
何気ない会話の流れの中で女はこう言い放った。
女 「でも、結局はおもしろいか、おもしろくないか、それが答えでしょ?!」
男 「・・・」
なんとなくウルフルズの曲がアタマの中に浮かぶ・・・。
わずかな沈黙が2人の会話に間をおいた。
男 「いや、あのシーンで言ったあの俳優のセリフは矛盾があるしさ、このシーンだって話の流れ的に必要性がないから、物語の構成を破綻させてるようにも感じるんだよね」
男の理屈っぽい言葉を遮るかのように女は言う。
女 「ちまちま考えながら観てて楽しいの?観るときは物語だけを楽しめばいいじゃん。観たらおもしろかった、それだけでいいじゃん」
動揺する男。
男 「うーん・・・、でも俺も映像を制作する側としてさ、そういう視点を持っておく必要性もあるわけでさ」
女はさらに言葉を返してきた。
女 「いや、誰も見てないWeb広告つくってるだけじゃん」
頭に向かって熱い血が上昇していくことを男は感じ始めていた。
女 「仕事とプライベート、しっかり切り替えなよ。理屈っぽい男ってジコマンばっかりで無駄なこと好きだよね」
顔がこわばっていく男。
緊張感を帯びた不穏な空気が、二人を包み込んだ刹那、女は言った。
女「あとさー、中途半端なのに監督感だしてくるクリエイターってサムイんだよねー」
男の心の中で何かがはじけた。
女 「あっ、じゃあここで。 またねー」
何事もなかったかのように、カラっとした表情で女は去っていった。
男 「・・・」
恥ずかしさや切なさが入り混じったような感情を胸に抱き、男は立ちすくんでいた。
わかってる、わかってはいたんだ。
世の多くの人の映画を観るスタンスがそうであることを。
映画は大衆娯楽。
でも、、大衆娯楽である一方、作品としての顔を持つのが映画の魅力。
作品としての顔を正当に評価できる視点を持っておく事が映画に対しての礼儀とも思うんだ。
どんなにちっぽけな存在でも僕は映像制作者のはしくれさ。
この視点の質を向上させていきたいと考えるのはくだらないことかい?!
いや、、そんなことはないはず。
おそらくどちらの視点も必要なものでさ、
この2つの視点をしっかり持ちつつ、制作する内容から適正な割合を考察し、
結果的に楽しんでもらえる内容の作品を制作できるようになることが僕の目指すべきことさ。
だから僕は理屈っぽくたって、思考を続けるんだ。
ちっぽけな存在だって、意味のあることなんだ。
いいじゃん、考えながら観たって。
あそこであのシーンいらないんだよ。
あの俳優のキャスティングだと余計な感情がわいて観賞の邪魔になるんだよ。
自問自答を繰り返す頭の中で、ラジオDJがささやいた。
「聴いてください、、ウルフルズで ― 笑えれば ― 」
都会の真夜中に溶けていく男であった。。。
※3年、活動記録を描き続ければ画もうまくなってるはず... 目指せ完全フリーハンド